DJか彫り師になりたい、それが出来ないなら死にたい

20代独身、SE、東京暮らし7年目。犬が好き。猫も好き。

VALORANT HSP PTA ちいかわ血祭 台風一過

くそ短歌です。

 

ただ単に生きづらさについての記事を書こうと思い構想を練っていたところ、

私って人から「HSP」気質だといわれたことがあるな→HSPをどうタイトルに盛り込もう→なんか知らんけど気づいたらタイトルの通りゴミカス短歌が出来上がっていました。

 

気が付けばずけずけと、よく四半世紀も生きてきたなと。

 

私は小さいころから生きることに対して消極的で、小学生のころには「まあ25で死ぬし」とか本気で思っていました。

 

小学生のころには既に生きていく意味がわからず、大人になどなりたくなく、じゃあそれまでの過程でどうやって死ぬかばかりを考えてきました。

 

小学生低学年のころ、留守番中にひとり死のうと思い包丁を手にしたところで親が帰宅して思いとどまったり、小学校に向かう通学路の途中で幼稚園バスに跳ねられそうになったり(ここで死んでればよかったのにと今でもたまに思う)、中学生のころには自傷行為を繰り返したり、幾度も死ぬチャンスがあったのに25までなぜか生きてきました。

 

何が原因なのかと言われたらまったくと言っていいほど分からないけれど、ずー--っと生きづらかった。

 

なんでかわからない、なにが辛いの?と聞かれてもうまく言葉にはできない、でもただただ辛い、みたいな人生でした。

 

自覚がある中での自分の特性としては、

共感力が高すぎる、気持ちが外的要因に依存しがち、あと情緒激しがち、人の顔色伺いがち、自己肯定感低がち、、、などなど

 

自分の価値を必要以上に低く見積もっているからこそ、他者からの評価に振り回されてしまうんでしょうね。私の価値は私が決めることなのに。

 

周りの目なんてどうでもいいよ、誰も何も言わないよって言ってあげたい。

昔の自分に。

 

あと今が楽しいから死ななくて良かったねってちょっとだけ思う。

別に今から死にたくなったらいつでも死ねるんだし。