共感力が高すぎる元バンドマンの私がアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」を観た#2
↓前回の話
昨日に続き、アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」2話を鑑賞。
1話の時は主人公・後藤ひとりのあまりにも卑屈な性格に、観てるこちらもやや精神を削がれましたが、2話は比較的穏やかな気持ちで過ごせたかな、という感想です。
にしてもやはり後藤ひとりの「私なんて...」思考には心が痛みましたね...
今回一番印象に残ったのは
「ぼっちと一人好きの間には、決して埋めることのできない溝がぁ...!」という後藤ひとりのセリフ。
友達が欲しいと思っているのにも関わらず意に反してひとりぼっちの後藤ひとりと、単純に一人でいるのが好きだから一人でいる人間は根本的に性質が違うのだ、という後藤ひとりの気づきです。
私自身も一人でいるのが好きで日常的に一人で過ごしているのですが、それと同時に「自分から人を誘うのが苦手」という一面も持ち合わせていたりします。
普段は一人が楽だから一人で過ごしてる、でも時々人に会いたくなる、でも自分から人を遊びに誘うのは気が引ける...もし断られたらどうしよう、断られなかったにしても、本当は嫌なのにいやいや付き合わせてしまっていたらどうしよう...そう考えてしまいます。
だからこそ、後藤ひとりの「ぼっちと一人好きの間には、決して埋めることのできない溝がぁ...!」というセリフにはうなずくしかありませんでした。
自分の性質のせいでしょうがなくひとりぼっちを余儀なくされる、そんなことは人生に幾度だってありますよね...
「ロックとは負け犬が歌うからロックというのであって、成功者が歌うのはそれはもうロックとは言わない...」
もし私が今後タトゥーを彫ることがあったらこの文言を心臓に刻みたいと思います。
なにがきっかけでそう思うようになったのかは思い出せないですが、私にとっての「ロック」も、後藤ひとりの思う「負け犬が歌う」歌なんですよね。
きっと同じことを思う人は少なくないと思います。
きっと私や後藤ひとりと同じ、負け犬(を自称する人)の歌声に生きる力を貰った人っていると思うんですよね。
音楽にここまで生かされてきた私には少なくともそう思えるなあと。
今回の2話は、人と関わることを避けてきた後藤ひとりがやっと一歩踏み出すことのできた、涙なしでは観られない回になったと思います。
大げさだろと全員が思うと思いますが、私は後藤ひとりに気持ちを重ね合わせすぎて普通に号泣しました。全員観てください。