DJか彫り師になりたい、それが出来ないなら死にたい

20代独身、SE、東京暮らし7年目。犬が好き。猫も好き。

異性ではなく水に興奮するっていっても

今週のお題「最近おもしろかった本」

 

異性ではなく、水に興奮するといっても私から離れないでいてくれますか?

 

...どう言っても語弊を生んでしまうのでもう黙るしかないのですが、どんな私だとしても、この世に生きる余地を残してほしいと叫びたくなる一冊でした。

 

 

 

少なくとも私は異性愛者です。だからこそこの本に登場する人間に、本当の意味で同情することが最後までできませんでした。

 

かといって他人事ではなく、かつ自分事のように心が痛むこともなく、でも登場人物の一挙手一投足に気持ちが動かされ動揺してしまう。安っぽい言葉で言えば心惹かれる、心がかき乱される、私の中の全米が泣き叫ぶ、そんな一冊でした。

 

タイトルの「正欲」がストンと腑に落ちるように、正しい欲とはと、ああ、と、考えさせられる本でした。正しい欲、正しい性欲。

 

お前の欲が正しいかどうかなんてどっかの誰かの主観でしかないのにね。

少なくとも私はあなたのことを理解したい、いや、理解できないのだけど、理解できないなりにどんな無様な姿だとしても一番のそばにいたいと思ったよ、

 

でも絶対に分かり合えない。その現実がズドンと私とお前の間に溝を作る。

マリアナ海溝みたいなえげつない溝を。

 

わかりあえない人間同士、どう共生していくか、いやしなくてもいいのかな、なんかもう何が正解なのかわかりませんでした。

 

この世には自分の想像しえうる人間がいる、自分も誰かにとっての想像しえうる人間である。以上やんね!!!に尽きるような。

 

うん???

 

 

蹴りたい背中、殴りたい女

今週のお題「最近おもしろかった本」

 

第167回芥川賞受賞作「おいしいごはんが食べられますように」を読みました。

読んでいる間、何度も吐き気がしたり涙が出そうになりました。

別に気持ちが悪いとか、胸糞が悪いとか、悲しいとか、そういった描写がある訳ではないです。

 

ただただ登場人物の持つ感情や、その場の空気の解像度があまりにも高くて、自分の感情が乗っ取られたような感じでした。

本にここまで振り回されることってあんまりないかもしれないなとも思いました。

 

今回の記事のタイトルがいささか不穏ですが、これはこの本に登場するある特定の女性のことを指しています。

 

こういう人間がいるから俺たちが割を食って、心をすり減らして、必要のない愛想笑いや取ってつけたようなお世辞を言わなきゃいけないんだよと、正直ずっと腹の奥底がふつふつとしていました。

 

会社にいるちょっとか弱い女性と、それを守る周囲の人間。

 

弱い者を周囲のみんなが守って守って、壊れないように気を使って、その状況を良く思わない人間も当然出てきて、弱いお前が元凶の癖に何かあれば被害者面しやがって、みたいな、穏やかそうな本のタイトルからは想像がつかないような、一見さらっとしてるんだけどいちいち心をえぐってくるような。こういうのを問題作って言うんですかね。

 

読み終わったあとも心にしこりを残すというか、安直に言うと考えさせられるというか、煮え切らないというか。

 

なんかこんな書評じゃ誰も読みたいと思えないかもしれないけれど、みんなに絶対に読んでほしいなと思っています。

 

心が軽くなったり笑えたり気分爽快!みたいな本では確実にないけれど、登場人物の気持ちに寄り添いやすいので自分をちょっと客観視できたり、普段抱えている心のもやもやを言語化することがきっとできます。

 

感情の整理のきっかけになる、と言ったら伝わりやすいですかね。

 

生きていく上でどうあがいても出会ってしまうであろう気に入らない人間、どう考えても許しがたい人間、そういう人間へのもやもやもやもやした感情、ぼんやりとした怒り、憎しみ、みたいなのが、煮たり焼いたりされていく様子を感じることができるかも?

 

吐きそうになるけど、それでもいいです。

 

 

VALORANT HSP PTA ちいかわ血祭 台風一過

くそ短歌です。

 

ただ単に生きづらさについての記事を書こうと思い構想を練っていたところ、

私って人から「HSP」気質だといわれたことがあるな→HSPをどうタイトルに盛り込もう→なんか知らんけど気づいたらタイトルの通りゴミカス短歌が出来上がっていました。

 

気が付けばずけずけと、よく四半世紀も生きてきたなと。

 

私は小さいころから生きることに対して消極的で、小学生のころには「まあ25で死ぬし」とか本気で思っていました。

 

小学生のころには既に生きていく意味がわからず、大人になどなりたくなく、じゃあそれまでの過程でどうやって死ぬかばかりを考えてきました。

 

小学生低学年のころ、留守番中にひとり死のうと思い包丁を手にしたところで親が帰宅して思いとどまったり、小学校に向かう通学路の途中で幼稚園バスに跳ねられそうになったり(ここで死んでればよかったのにと今でもたまに思う)、中学生のころには自傷行為を繰り返したり、幾度も死ぬチャンスがあったのに25までなぜか生きてきました。

 

何が原因なのかと言われたらまったくと言っていいほど分からないけれど、ずー--っと生きづらかった。

 

なんでかわからない、なにが辛いの?と聞かれてもうまく言葉にはできない、でもただただ辛い、みたいな人生でした。

 

自覚がある中での自分の特性としては、

共感力が高すぎる、気持ちが外的要因に依存しがち、あと情緒激しがち、人の顔色伺いがち、自己肯定感低がち、、、などなど

 

自分の価値を必要以上に低く見積もっているからこそ、他者からの評価に振り回されてしまうんでしょうね。私の価値は私が決めることなのに。

 

周りの目なんてどうでもいいよ、誰も何も言わないよって言ってあげたい。

昔の自分に。

 

あと今が楽しいから死ななくて良かったねってちょっとだけ思う。

別に今から死にたくなったらいつでも死ねるんだし。

 

 

子供嫌いな私に姪っ子ができた。どうしよう。

いつも報告はギリギリか、過ぎ去った後だ。

兄夫婦に女の子が生まれたらしい。いや早く言えよ。

 

まずはお兄ちゃんお姉ちゃん、おめでとう。

 

25歳にして、叔母になった。別にこれに関してはどうもこうも無い。

兄夫婦に子供が生まれたのだから、叔母になって当然という気持ち。

 

25歳にして、私の「身近な存在」に赤ちゃんが急遽爆速ランクインしてきたのだ。

どうしよう。

 

タイトルにもある通り、私は子供が大の苦手だ。

物心がついたときから私は常に親戚内でも末っ子、最年少、一番可愛がられるべき存在で、私自身がいくつも年下の人間を可愛がろうと思ったことなど今までの人生ほぼほぼ無かったに等しいのだ。

 

だから赤ちゃんに対する接し方もわからず、なんなら苦手意識さえも持ったままスクスクと育ってしまった。

 

そんなところに赤ちゃんの爆誕。いやムリて。

 

重ねて言うが私は本当に子供が苦手だ。

接し方がわからないをこじらせ、もはやもう子供が嫌いという境地にまで達してしまった。なのに兄夫婦のところに生まれた赤ちゃんに会いに行くことになってしまった。どうしたらいい。赤ちゃんになんて声をかけたらいいのだ。どんな顔で、どんなポーズをとりながら、、、?

 

もうどう考えてもかける言葉は初手「はじめまして。どうですか?地球」しか思い浮かばない。子供をあやすとか、ベロベロバーをするとか、100億%ムリだ。

 

そんなこんなで一人でワチャワチャ焦っていたら当日になった。

姪っ子に対面する当日だ。

 

父親も一緒に会いに行くことになったので、兄夫婦宅の近所で待ち合わせて一緒に呼び鈴を鳴らした。

 

いつも通り兄夫婦が笑顔で玄関のドアを開けてくれた。

でも今までとは違って、お姉ちゃんの両腕には小さな小さな赤ちゃんが抱えられていた。

 

「今ちょうど寝たところなんだよ」とお兄ちゃんが言い、赤ちゃんを起こさないようにみんなで静かにリビングに入った。

 

わあ~~なんか知らん赤ちゃんがいるなあ

 

と思った。それくらいなんかほんと他人事というか、冷めていた。この時は。

 

部屋に上がって早々に、お姉ちゃんが「赤ちゃん抱っこしてみる?」と言ってきた。

私は「赤ちゃん抱っこしたことなくて、、」とマジモンの怯みで返してしまう。

マジで怖かった。下手に抱っこなんてして何かあったら大変だと思ったから。

 

子供は苦手だけど、絶対に傷をつけたくないという意思はあった。

 

「大丈夫、首が据わってないから首の下に腕を入れて」などとレクチャーを受け、あれよあれよと私の両腕にこの世に生まれてまだ2か月しか経っていない赤ちゃんが収まってしまった。

 

まじまじとその顔を見つめる。

すげー----としか思えなかった。

 

なんかよくわからないんだけど、小さい命!!!!

お兄ちゃん(私の実の兄)とお姉ちゃん(お兄ちゃんのお嫁さん)の子供!!!!

と考えただけでなにかが爆発しそうだった。

 

小学生のころ一緒に遊戯王をやっていた私のお兄ちゃんが、、、父親、、、?

 

なんかそういう、今までのお兄ちゃんとの思い出とか、たぶんそういうのがバーッと走馬灯的に胸の中を流れて、熱くさせたんだろうなと思う。

 

今間違いなく目の前にお兄ちゃんお姉ちゃんの子供がいて、私の腕の中でにこにこしていて、ああ、これは何を犠牲にしても守らなきゃいけないわネ、と思った。

 

昔実家に柴犬がいたので、柴犬を抱っこしていたのと同じ要領で背中のあたりをトントンと叩いて、なんだかやけに目が合うので微笑み返してやって、なんだなんだ初対面のくせに、、と思いながらも私のなかにポカポカとした感情がこみ上げているのがわかった。

 

何度も言うが私は子供が苦手だ。

 

まず意思疎通が取れない。そしてうるさい。あとどう接したらいいのか皆目見当がつかない。

 

なのに今私の目の前でにこにこにこにこしているこの小さな人の形をした愛はなんだ。

 

なんだかこの文章を書きながら泣きそうになっている。

 

「愛おしい」という言葉、お前のためにあったのか?と思わず生後2か月の人間に尋ねそうになってしまう。

 

「子供嫌いの私に姪っ子ができてどうしよう」なんて杞憂だったのかもしれない。

 

まあ姪っ子が今後自我を持ち始めたらまた変わってくるのかもしれないけれど。

 

お姉ちゃんが「いつでも遊びに来て。一緒にご飯食べよう」と誘ってくれるので、また近いうちに遊びに行ってその時の感想をまた書こうと思う。

 

 

 

1時間と1万人以内にハッピーアワーは壊せない

 

気づいたら何故かスーパーマーケットで店員として働いている自分が、何故か店内で迷子になっていた。

 

なんだか薄暗くてだだっ広くて、自分の背丈よりだいぶ高い棚がコストコみたいに並んでて、そこに商品がぎゅうぎゅうに、うずたかく積まれていた。

 

何をしていたところだったのかは忘れたのだけど、元居た場所に戻ろうと店内をうろうろしていたら、同じく店員であろう人間に声をかけられ、手を引かれ、半ば強引に売り場の端っこの方に連れていかれた。

 

客らしき一人の女性がスマートフォンを見つめながら背の低い冷蔵庫に上半身を預けていた。

 

「『イカれたスカート』どこ!???」

 

ああ映画のことだな、と私はすぐに察した。

 

その女性が求めている映画を、私は周りにある棚から見つけようと手あたり次第に紙パックの表示を見て回る。

 

このあたりの棚には牛乳とかオレンジジュースとかがよく入れらている紙パックがぎゅうぎゅうに並べられていて、〇△牛乳とか××オレンジとかがよく書かれている箇所に映画のタイトルが書かれている。

 

ざっと探してみたが「イカれたスカート」は無さそうだった。

 

息を切らして女性の元に戻り、「ありませんでした」と伝えると、両手で持っているスマートフォンの画面を「これよ」と私に突き付けてきた。

 

イカれたスカート」のものであろう映画のポスターが表示されていた。

「ああ~これか」と私は思わず言葉を漏らした。

 

「1時間と1万人以内にハッピーアワーは壊せない」のことか、と思ったのだ。

これならさっきまで私が探していたやつだ、と。

 

ん?でもこれは「イカれたスカート」ではない。

私が探していたのは「1時間と1万人以内にハッピーアワーは壊せない」であって、「イカれたスカート」ではない。

 

でも「イカれたスカート」を探している女性が私に見せてきたポスターは「1時間と1万人以内にハッピーアワーは壊せない」・・・????

 

謎がぐるぐると頭の中で渦巻き、私は売り場に倒れてしまった。

 

 

 

何者かになりたかったのになれなかった、今でも私はあなたのミューズになりたい

表現者になりたかったし、アイドルになりたかったし、あなたの生きる理由になりたかった。

 

まだ25歳なのに、半ば諦めに近い感情を抱きながら毎日を生きている。

 

いつものようにYouTubeを観ていたら、おすすめでUNISON SQUAERE GARDENのMVが流れてきたので懐かしいなあと思いながら観た。

 

ベースの田淵さんが大好きで大好きで。

さっきまでおとなしく椅子に座ってると思ったのに気づけば大暴れしているような人なのですが、彼を見るたびに「私もこれだけ全身で表現できたら」と思う。

 

好きとか楽しいとか、なんでもいいから感情をこんなにも体で表せたら気持ちがいいのだろうなと思ってやまない。

 

 

これは私がユニゾンで一番好きな曲であり一番好きなMVです。

主にベースの田淵さんを見てくれ。

 

ただただ表現者って素晴らしいと泣きそうになってしまう。

 

 

 

 

蹴りたい背中、殴りたい女

第167回芥川賞受賞作「おいしいごはんが食べられますように」を読みました。

読んでいる間、何度も吐き気がしたり涙が出そうになりました。

別に気持ちが悪いとか、胸糞が悪いとか、悲しいとか、そういった描写がある訳ではないです。

 

ただただ登場人物の持つ感情や、その場の空気の解像度があまりにも高くて、自分の感情が乗っ取られたような感じでした。

本にここまで振り回されることってあんまりないかもしれないなとも思いました。

 

今回の記事のタイトルがいささか不穏ですが、これはこの本に登場するある特定の女性のことを指しています。

 

こういう人間がいるから俺たちが割を食って、心をすり減らして、必要のない愛想笑いや取ってつけたようなお世辞を言わなきゃいけないんだよと、正直ずっと腹の奥底がふつふつとしていました。

 

弱い者を周囲のみんなが守って守って、壊れないように気を使って、その状況を嫌う人間も当然出てきて、弱いお前が元凶の癖に何かあれば被害者面しやがって、みたいな、穏やかそうな本のタイトルからは想像がつかないような、一見さらっとしてるんだけどいちいち心をえぐってくるような。こういうのを問題作って言うんですかね。

 

読み終わったあとも心にしこりを残すというか、安直に言うと考えさせられるというか、煮え切らないというか。

 

なんかこんな書評じゃ誰も読みたいと思えないかもしれないけれど、みんなに絶対に読んでほしいなと思っています。

 

心が軽くなったり笑えたり気分爽快!みたいな本では確実にないけれど、登場人物の気持ちに寄り添いやすいので自分をちょっと客観視できたり、普段抱えている心のもやもやを言語化することがきっとできます。

 

感情の整理のきっかけになる、と言ったら伝わりやすいですかね。

 

生きていくうえで出会ってしまうことになるであろう気に入らない人間、どう考えても許しがたい人間、そういう人間へのもやもやもやもやした感情、ぼんやりとした怒り、憎しみ、みたいなのが、煮たり焼いたりされていく様子を感じることができるかも?

 

吐きそうになるけど、それでもいいです。